【zigzagエッセイ】自分に許可を出す技術

私にとって50歳という年は、今までになく「この先がない」と考えた年だった。

 

 

今まで「いつか、この仕事が落ち着いたら」「いつか、お金の心配がなくなったら」「いつか、子どもの手がかからなくなったら」...と何となく思い描いていた、ものすごく遠くはない、しかし直近でもない、うすらぼんやりと夢見る楽しげな未来が一切保証されていないのだと強烈に感じた年だった。

 

 

大きな災害があった。

身体は確実に10年前より動く(自己啓発本のおかげで、モヤシひょろっちいド文系オタクが、定期的に運動するようをになった結果だ)しかし、あちこちにはっきり出てくる加齢のサインにギョッとして、「これからは『劣化』のスピードをいかに遅らせるか、がキモ(、というか、それしかない)」と感じることが増えた。

自己基盤を強化するための勉強をはじめた。自分を小さく押し込める何かが、薄皮が剥がれるように少しずつ消えているような気がした。

そんな種々雑多な出来事が絡まりあい、「本当に先がないから、後悔しないように生きなければ」と、考えるようになった。

 

 

結果、どうしたかというと

「誰か一緒に行く人がいなきゃ心細いカモ...」と今までの自分なら絶対に渋っていた、とある展覧会に一人で出動することを決意した。

 

 

どんな展覧会って?
10年前にはじまり、数年おきに制作、そして映画まで製作された、とある近未来ディストピア世界アニメの、10周年記念展覧会だ。

 

一人で行くのは何か知らんけど恥ずかしい。

 

昭和に生まれ、アニメや漫画の世界に没入するオタクはマイノリティである、理解してもらえない人の中においては、ヲタばれしないように生きる、という自己否定と、この頭の中身を変えることはできない、yes,I was born this way という魂の叫びとセットになった諦念みたいなものが常にある。

 

同好の士と群れて参戦するのではなく(残念なことに、20年来のオタク友達とは今回、趣味が被らなかった)一人で行く、と考えた時に、何やらわからない怖気付くような気持ちが湧き起こる。

 

展覧会に行ったところで、周囲は若いお嬢さんたちで、「なに、あのオバさん一人で来ている」という目で見られるんじゃないかと思うと、正直怖い。

 

チケット代、安くない。往復の電車代を払って時間をかけて、家族の用事やレジャーのついでではなく、本当に自分のためだけに東京まで出ていく価値があるのか。やらなきゃいけない仕事があるじゃないか。そっちが先では?引き留める声は後からあとから頭の中に湧く。

 

これは迷いだ。私は迷っているのか。聞こえてきた小さな声に「晩ご飯を作った後でね」と言い聞かせず、立ち止まった。
私はどうしたいと思っている?自分に問いかける。

行きたいよ。いつ行けるかわからないじゃん。わかっているでしょ、「次」はないよ。「またいつか」は永遠に来ないよ。

じゃあ、いつ行くの?

仕事が無い日に行こう。いや違う、この日に行く、と決めてその日は仕事を入れないようにする。

決めただけで安心するな。今までと同じになっちゃうよ。

今までと同じにしないためにはどうするの?

 

...すぐにGoogleカレンダーを開いて、予定を記入した。記入してすぐ、Webでチケットを購入した(何という便利な時代だ)

これで迷っていても、迷っていなくても行かざるを得なくなった。チケットを購入して、ドブに捨ててしまうような行為は、自分的に憤死に値する。かなり強制力が高まった。

ここまでやっても、「本当に行けるのか?行っていいんだっけ?」という、不思議な気持ちになった。



ここまで読んだあなた、どう思われただろか。

自分でもわかっています、まだるっこしいこと、この上ない。でも、

「ハァなんで?行きたい所に行って、やりたいことをやればいいじゃない」と思って、ちゃんと実行できる『大人』がこの日本に何人ぐらいいるのだろう。社会人全体の何パーセントなのだろう。そんな奴らは私から言わせたら、かなりの猛者だ。(あくまで私個人の感覚です)



自己基盤を学ぶようになって気づいたことがある。

私は他人の判断基準に従うために、知らずしらずのうちに、自分を抑制する技術を磨いてきた。

 

 

私の残り半世紀(仮)に必要なのは、自分に許可を出す技術だ。

私という人間に向き合って、どうしたいのか、何を良しとするのか、実現するために必要なものは何なのか?に耳を傾ける技術。



半世紀かけて磨いた技術の破壊は、そこまで難しくなさそうな気がしている。

だって、そんなところでモダモダしていたら「先が無い」のだ。

この先に残っているのは半世紀もない時間。脳と身体が維持できるリミットまで、20年、いや10年ないかもしれない。

実際、既に1年経ってしまっている。

 

私にとって51歳という年は、自分に許可を出す年だ。

あなたは、どんな年にしたいだろうか。

 

 

youtu.be